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戦国時代、織田信長がその石垣の強固さをみとめて、その後飛躍的に、名前が知れるようになった、滋賀県大津市坂本にある野面積で有名な石工集団の名前です。戦国時代末期には、20数家、300人の大集団になっていました。直木賞作家で大津市在住の今村翔吾さんが「塞翁の盾」で詳しく、穴太衆について書かれています。石工集団の組織は、山方といい、山から石を切る役目で、20人から30人、荷方は100人で切り出した石を運び役、積方100人、石を積む役目と分かれていました。穴太衆は中でも三役全部できる
メンテナンスされ承継されていくので、オリジナルのもの(=穴太衆積み)はほとんどないとのこと。苔が残っている部分は比較的古い、言い換えれば、苔のない部分はかなり最近、積んだものだそうだ。