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江戸時代の貨幣制度は、大別すると計数制と秤量制であった。金は両(りょう)、銭は貫(かん)、銀は秤ではかる匁(もんめ)など複雑な面があった。その上、関西は銭、関東は金と流通範囲が自然に分かれていた。そして相互の交換は法定されてはいたもののあまり信用されず、実際には相場が立てられそれが標準になった。そのため金相場の会所は存在価値が高かった。会所は最初高麗橋付近にあったが、のち現地に移り(寛保3年、 1743)、維新後、銀目取引廃止にともない閉鎖された。