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平治2年(1160)正月3日、義朝公謀殺の大事を聞いた家臣渋谷金王丸や鷲栖玄光らが湯殿にかけつけるとき、この地にあった橋のあたりで長田の家臣と乱戦となり、後にこの橋が乱橋と言われるようになったとのことです。