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羽黒城は1200年頃に梶原景親が築いたのが始まりと言われており、織田信長に仕えた梶原景義の代までの約380年間、梶原一族の居城となってました。しかし、本能寺の変で、梶原景義は殉死し、跡継ぎのいない梶原家は断絶することになり羽黒城は荒廃していきました。小牧・長久手の戦いでは羽黒が前哨戦となり一帯は焼け野原となったが、羽柴秀吉によって砦として改修し、山内一豊らが守備にあたった。しかし、戦いの跡は廃城となり、現在の竹林となっております。
梶原景時や景季が内部抗争で討たれ、その一族がこの地へ流れ着き、後に織田信長にも仕えたが、本能寺の際にその当代景義が討たれ、梶原一族は滅亡した。小牧長久手の戦いに於いて、豊臣方に城跡が利用される。
源頼朝に仕えた鎌倉幕府の重臣、梶原景時の孫、梶原景親によって築かれたようです。本能寺の変の後は廃城となっていましたが、小牧・長久手の戦いで秀吉の砦になったそうです。