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永禄三年(1560) 織田信長が桶狭間出陣の際、当神宮に願文を奏し大勝したので、その御礼として奉納した塀である。土と石灰を油で練り固め、瓦を厚く積み重ねている。三十三間堂の太閤塀、西宮神社の大練塀と並び日本三大土塀の一つとして名高い。
信長さんが桶狭間の戦いに行く為に、熱田神宮に到着した時には、遠くにある自分の砦である丸根砦と鷲津砦から黒煙が上がっているのが見えていたそうです。自分の砦が燃えているのが分かっていても、2つの砦にいる家来達を犠牲にしてでも今川義元さんの首だけを取るのを優先させた時の信長さんの気持ちは、本当に辛い思いがあったと思います。その犠牲になった家来の為にも、この塀を作ったのではと考えています。因みに、丸根砦を全滅させたのは松平元康さん19歳で、後の徳川家康さんです。
駐車場は24時間空いています。朝6時頃がおすすめです。朝の静かな池の周りのベンチでゆっくりコーヒー(それが自販機の缶でも)を飲んでいるととても街の中とは思えない静けさを味わえます。
1560年(永禄3年)織田信長が桶狭間出陣の時、熱田神宮に必勝祈願をして大勝したので、そのお礼として奉納した築地塀(ついじべい)です。 土と石灰を油で練り固め瓦を厚く積み重ねたもので、兵庫西宮(にしのみや)神社の大練塀、京都三十三間堂の太閤塀とともに日本三大土塀の一つとして有名です。