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梅村庄次郎は、1902(明治35)年3月に単身で北海道に渡り、石狩、十勝、天塩の各農耕地を視察して回り、6月抜海に来た際に偶然音吉と会う。意気投合した彼らは、連れ立って実地調査として兜沼に入った。付近を調査探検し、農耕適地が広大で、湖水があることに将来の楽園地になるものと、同年8月に一度郷里に戻り、移民の勧誘に勤めたのである。 その後未開地460町歩の無償貸付を受け、1903(明治36)年、岐阜団体梅村庄次郎ほか12戸が兜沼に入植した。