全国17万以上の観光・観光地クチコミ検索サイト
戦前に、樺太の大泊(現在のコルサコフ)と稚内との間を、鉄道連絡船として結んでいた航路の記念碑です。所要時間は約9時間で、砕氷船でも運行されていたようです。
大正12年、鉄道省により稚内~大泊間に連絡航路が開設されました。以後終戦の昭和20年8月に閉鎖されるまでの22年間の業績を讃えるため、昭和45年11月に建立された記念碑です。「稚泊連絡航路」22年の歴史の中で行き来した乗客は284万人にものぼります。
戦前はこの地より樺太へ全国から皆さんが出発されていきました。自分の父方の曾祖父母、祖父母、父親なども然り、特に亡き祖母は青春時代の真っ只中を樺太で過ごしたこともあり、孫の私に樺太時代の思い出をいろいろと話してくれましたりその影響もあって今回もまたお邪魔しました。撮った写真の方は亡き祖父母の墓前に備えて報告したいと思います。