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天文9年(1540年)に亀山城主であった湯川直光によって吉原(現美浜町吉原)に建立。これが吉原坊舎と称された。後の天正13年(1585年)に豊臣秀吉の進攻によって吉原坊舎は焼かれ、湯川一族は本尊を持って熊野に逃れるが翌年には日高に戻り薗浦の椿原に仮堂「薗坊舎」を建てた。
家が立ち並ぶ中にひっそりとたたずむお寺は、敷地内に保育園を持ち、静かに存在感を示しています。休日は保育園が閉まるせいか平日しか入れないので注意が必要です。広い駐車場があります。
別院や御坊が市区町村内の地名になることはいくつかありますが、市区町村名になるのはおそらく世界でもここだけかと。その由来となった本願寺派本願寺の別院です。
西側の門は幼稚園の関係で9:45分に開くと書いてあったのですが、閉まったままでした。東側の門も9時50分くらいに行ったのですが、閉まったままでした。