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江戸時代ここは長崎屋という薬種屋があり、長崎に駐在したオランダ商館長の江戸登城、将軍拝謁の際の定宿になりました。将軍拝謁は諸外国のうち、鎖国政策のため外国貿易を独占していたオランダが、幕府に謝意を表するために献上品を携えて行った行事でした。江戸出府は江戸初期から毎年一回行われましたが、長崎からの随行の人々は、商館長の他、通訳、学者などが賑やかに行列して江戸に来ました。しかし、経費のことなどで、江戸中期からは4年に1回となっています。
三越や高島屋がある日本橋という土地がらで「長崎屋跡地」と聞けば、イトーヨーカドーと並ぶあの長崎屋と勘違いされる方がいるかも知れませんね。冗談は兎も角として、江戸時代に貿易を許されていたオランダ商館が、徳川幕府にCourtesy call (表敬訪問)する際、長崎の平戸・出島を発ってから約1ヶ月を経て江戸に着き、さらに約1ヶ月を逗留する訳ですが、幕府から定められた宿は日本橋本石町(ほんこくちょう)三丁目の「長崎屋」だったのです。
この辺は江戸時代には本石町(ほんこくちょう)三丁目。薬種問屋長崎屋があり、長崎に駐在しているオランダのカピタン(英語なら captain だろうが、商館長)たちが、江戸に参府するときの定宿だったとのこと。当時の彼らの記録にも、長崎屋の名前が出て来る由。ヨーロッパの文化や学問に触れたい蘭学者や知識人も数多く訪れたという。
江戸時代、ここには長崎屋という薬種屋があり、長崎に駐在したオランダ商館長の江戸参府時における定宿だったそうです。区民史跡に登録されています。当然ながら今は面影はまったくありません。