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市役所敷地内に小山評定跡碑がありますが、南に少し行った須賀神社(祇園社)にもあり分裂しております。場所を確定する一次史料がないため、この市役所含むかつての小山城(祇園城)〜須賀神社の広大な敷地内のどこかで評定が行われたという事でしょう。要するに、適当な石碑しか残っていません。
上杉景勝を討伐するために会津に向かう途中で本陣を置いた際、石田三成か挙兵した報を受け翌日には諸将を集めて軍議を開き、結束を固めて石田三成を討伐するために西上することを決した場所です。
”犬伏の別れ”で有名な佐野市の新町薬師堂を訪れた後、ここを訪れました。車で国道50号線を東に向かうと距離にして約20キロ、30分程で着きました。いずれも会津討伐に向かう途中の史跡なのでとても近いです。場所自体は小山市役所の敷地内にあり、工事中だったので史跡らしい雰囲気はありませんでした。小山評定以前から石田三成と武断派の加藤清正や福島正則との間には大きな溝があり、老獪な家康がそれを上手く利用して流れを作ったんですね。ここからさらに東に向かうと結城城跡や下館城跡がありますので東西に伸びる国道50号線はまるで城跡の銀座通り?です。(笑)