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沖縄首里にある、琉球王朝時代の仏教寺院の遺構です。沖縄戦で国宝であった本殿等は焼かれてしまいましたが、放生橋等は残りました。円覚寺総門は再建されています。
首里城から徒歩圏内ながら、廃寺で寂しい赴き。本当に好きな人でなければ訪れる理由はないが、門の作りや、池の橋にかつての栄華が偲ばれる。門からは入れないので、横から中を覗くことになる。
1494年創建の沖縄臨済宗総本山。第二尚氏の菩提寺であった時代には、禅宗・七堂伽藍形式の建物が数多く建てられていたらしい。戦前に、総門、山門、仏殿などが国宝に指定されたが、沖縄戦で全て破壊されてしまったという。1968年より復元が始まり、総門と石垣、右脇門、放生池(ほうじょうち)が復元されている。当時のまま残る放生橋は国指定重要文化財で、他の建物も再建する計画があるようだ。
琉球王朝に円覚寺とはと思いましたが、意外性があったのでシャッターを切りました。この寺は1494年に創建された沖縄における臨済宗(りんざいしゅう)の総本山で、第二尚氏王統歴代国王の菩提寺であった。寺は禅宗(ぜんしゅう)の「七堂伽藍(しちどうがらん)」の形式で建造され、境内(けいだい)には多くの建物が配置されていた。
円覚寺荒神堂の前には「圓覺禪寺記」碑がありましたが、戦災で諸堂もろとも失われました。碑は残片が県立博物館に保存されています。円覚寺が1492年から3年がかりで建立された経緯が漢文で記されている。碑首には日輪と瑞雲、鳳凰の文様が線刻であしらわれていた(『琉球の石碑と拓本』)。
首里城公園内にある沖縄随一の古刹──の跡地です。首里城公園の外れにあって、放生池にかかる放生橋は国の重要文化財ですが、取り立てての案内もないせいかここまで来る人も、ここで足を止める人もほとんどいません。そもそも総門から中には立ち入れず、放生橋も柵のむこうから出歯亀するしかありません。あんまりといえばあんまりな扱いです。
首里城公園内、無料区間を通れば300メートルの距離を、何故か1キロ遠回りの道をナビされた。しかも、到着しているのに、後200メートル進めとナビする。近くの人に聞いてやっと行けた。