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詳しくはよく分からないがここは跡地の記念碑だけですね。近くの羽黒神社や普門院を含め、国指定史跡なんでしょう、多分。
江戸時代寛政期(1789〜1801年)頃米沢藩では田畑の荒廃、年貢収入の減少による財政危機が発生していた。上杉治憲(はるのり)藩主は大倹約令を出して財政整理を行い、米沢織の振興、商品作物の栽培など殖産興業を行った。藩校「興譲館」を設立し、折衷学派の儒学者細井平洲(ほそいへいしゅう)を招き、藩士や百姓の文教教化を進めた。その業績を讃えるものです。
米沢藩を建て直した中興の祖、上杉治憲(鷹山)が、その師である細井清州を呼びよせた地として普門院が国の史跡となっています。