全国17万以上の観光・観光地クチコミ検索サイト
西の鈴ヶ森、東の小塚原と云われる2大処刑場のうちの1つ、小塚原処刑場跡地にあります。ここには亡くなった人を弔う首切り地蔵、お題目塔があります。江戸時代からの歴史の証人です。四宿の1つ千住宿があった旧奥州・日光街道沿いにあります。
2017/6/13拝受 線路の開通によって小塚原回向院と分院された。20万人ともいわれる斬首刑者を弔うために作られた巨大な石蔵。江戸六地蔵は銅製。歴史の重さを感じる御朱印です。真ん中に首切り地蔵のハンコが押してあります。御住職の住まいは、寺領には無いので、御朱印を頂く時は、事前に連絡した方が良い。有り難く御朱印(墨字、小塚原刑場跡 首切り地蔵)を頂きました!
江戸時代最大の仕置場である小塚原刑場跡に建つお寺です。供養の為の首切り地蔵、髭題目があります。駅前から見えるところにありますが、人の気配はありませんでした。
延命地蔵 (地蔵菩薩) 、またの名を“首切り地蔵”と呼ばれる高さ3.6㍍の座像は、山谷地域の中心点である「泪橋交差点」から北へ300㍍の東京メトロ日比谷線の南改札の前ある「延命寺」の中に入れば誰でも見ることが出来る。
小塚原刑場の刑死者を弔うために江戸時代に創建されたのが浄土宗の南千十回向院で、回向院の境内は明治になってから常磐線によって南北に分断されました。北側は回向院として存続し、南側は日蓮宗延命寺として別寺院になりました。「どうしてそうなった」という気がしないでもないのですが、とにかくそうなったそうです。