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厳島神社の末社で、かつては旧横浜村の海辺にあった浅間神社は、1859年の横浜港開港後の開港場整備に伴い住民が元町に移った1860年(万延元年)[4]に、山手の丘の上に移された。その際に、運上所御用船の船頭である勘次郎が、元町の前田橋の先から浅間神社にまっすぐ登る石段を寄進した[5]。石段は101段あったことから、「百段坂」や「元町百段」と呼ばれ親しまれた。丘の上には浅間神社の祠のほか、港を一望できる見晴台や茶屋が設けられ、多くの日本人や居留外国人が訪れた[6]。
関東大震災で被害を受けた、旧元町百段の上にある公園。代官坂に抜ける、道の途中にあり、普段はあまり利用者の少ない公園である。10年以上前、子供と遊べる場所を探していたら偶然見つけ、以来横浜の街並みを見にたまに立ち寄る場所に。