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昔は村の若い女性が紡績工場へ「口減らし」として奉公に出され、年に一度野麦峠を越えて、正月休みに村の三寺参りに出向いていたそうです。若い男の子達にとっては、それが唯一の出逢いの場だったようで、縁結びの神社として、まずはここから白い蝋燭を灯し、恋愛成就を祈っていました。200年も続く伝統行事です。赤い蝋燭は、大願成就した年に灯すもので、その数が多ければ、それだけ幸せになった事を意味しています。現在は縁結びの寺として、国内外から沢山の女性が、白い蝋燭を灯す三寺参りが人気です。
飛騨古川の瀬戸川と白壁土蔵街を彩るアクセント的な寺院。永正11年に江馬氏家臣、岩佐氏の正祐が吉城郡宇津江村(高山市国府町宇津江)に開いた念仏道場が起源で、戦国時代に金森氏が飛騨に移ってきた際に古川町に移った。寺運が次第に盛んになり慶長8年(1603年)には寺号を許可されて正覚寺と名乗った。元和7年に(1621年)は古川町殿町の現在地に落ち着いた。正徳2年(1712年)に現在の寺号に改める。明治37年(1904年)に古川大火により町中の多くの建物が焼け落ちるなか焼け残った。その際に寺の本堂の亀の彫刻が火災から寺を守ったとしてそれ以来その彫刻は水呼びの亀と呼ばれている。山門は廃城となった増島城から移築されたもので、飛騨市の文化財に指定されている。