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ここは家老、中老などの詰所で...畳が敷かれ、襖も入って四部屋に分かれてた!天井下には見事な透かし彫りの欄間もありましたが、享保12年の大火で焼失...再建はされましたが、欄間は無しのままだそうです。
本丸と二ノ丸の間に設けられた空堀をまたぐかたちで建てられており「橋廊下」という旧名がある。階上が登城した武士の詰所となっていたため、現在は詰門と称されている。東の出入口は右寄り、西の出入口は中央につけられており、筋違いになっている。これは攻め上がってきた外敵が容易に通り抜けできないように配慮したもの。東面に3か所、西面に5か所の隠し銃眼(狭間)も設けられている
本丸と二ノ丸の間の空堀をまたぐように架けられていて、旧名は「橋廊下」と言われていたそうです。階上が登城した武士の詰め所になっていたので現在は「詰門」と称しています。