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無料の駐車スペースあります。境内裏手から車で入ることが可能です。数百年の樹齢のくすのきが、小さな境内に何本も!!歴史を感じる神社で必見です。
大阪メトロ新金岡駅から徒歩10分程の竹ノ内街道沿いの「金岡神社」の起源は、仁和年間(885年)と伝えられ住吉三神などの神々に加え、平安前期の日本画の祖とも言われる絵師「巨勢金岡(こせのかなおか)」をお祀りしている。
絵所長者という役所で最も重きをなした平安前期の宮廷画家巨勢金岡を祭る神社、旧社格は郷社、主祭神は底筒男命、中筒男命、表筒男命、素戔嗚尊、大山昨命、巨勢金岡、創建は伝、仁和年間(885~889年)竹内街道沿いにある又難波大道の南端に存在しているという説も有るが此の近辺では発掘調査等は実施されておらず定かでは無い、ここには頭正院という神宮寺があつたが神仏分離令により廃寺と成っている、その後近隣の神社が合祀され現在に至る。
大和絵の様式を確立させたとされる平安時代初期の絵師である巨勢金岡を祀る神社として知られています。巨勢金岡は、中納言・巨勢野足を曾祖父に持つ少壮貴族の出身であったが、その豊かな画才を朝廷に認められ、宇多天皇や藤原基経といった権力者の恩顧を得て活躍した。貞観10年から同14年にかけては宮廷の神泉苑を監修し、その過程で菅原道真や紀長谷雄といった知識人とも親交を結びました。日本画独自の様式を追求・深化させ、唐絵の影響を脱した大和絵の様式を確立させた功労者とされます。またその子孫は、後世において巨勢派と称される画家集団を形成、宮廷画や仏画の分野において多大な影響力を発揮しました。しかし、その作品は一切現存していません。