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月読尊(つきよみのみこと)、伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)、伊邪那美尊(いざなみのみこと)を祀る延喜式内社で、大社に位置づけられていた。中世にはたびたび兵乱、兵火を受けて、社殿の焼失と再興を繰り返した歴史があり、鎌倉時代初めに、源頼朝から神馬の献上があったとも伝えられ、明治維新の折には、鳥羽伏見の戦いを避けるため、石清水八幡宮が一時遷座され、ご神宝が薬師堂に安置された。現在の本殿は、東に面する一間社春日造、銅板葺(もとは桧皮葺:ひわだぶき)の建物である。明治26年(1893年
延喜式内社。祭神は月読尊(つきよみのみこと)、伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)、伊邪那美尊(いざなみのみこと)。毎年10月14日の宵宮には大住隼人舞(市指定文化財)が奉納される。隼人の出自について、記紀に記す「海幸彦山幸彦神話」では、天孫ニニギの御子・海幸彦を隼人の祖とする。当社由来では隼人族の当地移住を7世紀頃とする。因みに“大住”の地名も“大隅隼人”に由来するという。大住には、当社や樺井月神社の他にも月読命に関わる神社が幾つか残っている。甘南備山(カンナビ)には月読神が降臨
伊弉諾、伊奘冉の子供で、天照大神の弟、素戔嗚尊の兄である月読命が祀られおります。天照大神、素戔嗚尊と比べてマイナーですが、血統的にはかなり凄い方です。夜の世界を司る神であり陰陽師の守り神としても有名。全国に8万1千社ある神社のうち、月読神社は全国にたった14社しかありません。とても由緒ある素晴らしい神社です。