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北朝の、光明、崇光天皇の御陵です。松並木の参道が真っ直ぐに延びています。当時、足利氏(北朝)と後醍醐天皇(南朝)は争っていました。しかし皇室の象徴たる三種の神器は後醍醐天皇が持っていた為、足利氏は新たに天皇を擁立(北朝)し争いは激化しました。そんな中、光明、崇光天皇は、崩御され大光明寺陵に葬られたとされていますが、今、鳥居が建っている場所が大光明寺陵かどうかは知る由もありません。
北朝2代の光明天皇と北朝3代の崇光天皇の陵墓、治仁王(後伏見天皇皇孫)の墓が存在します。長い参道が特徴的で両陵墓とも堀が巡っています。陵形は円丘で、宮内庁書陵部の陵墓地形図集成によると面積は12942.36㎡と記されています。