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織田信長が全国制覇を目指し西進する中で、西国の覇者、毛利側もそれに対抗して防御の為に(備中高松城、宮地山城、冠山城、加茂城、日幡城、庭瀬城、松城城)の7つの城を築き防御・防戦に努めた。
「備中高松城」に行ってきた。岡山には松山城(備中松山城)と高松城(備中高松城)がある。もちろん四国にも、松山城と高松城があるからややこしい。しかし、備中高松城も備中備中松山城も歴史的に有名で良い城だ。
最上稲荷さんの大鳥居を目印に行かれるのが良いと思います。水攻めであまりにも有名な備中高松城跡で現在は備中高松城跡公園に整備され、敷地内には無料で拝観出来る資料館、清水宗治公首塚、胴塚もありボランティアの方が丁寧に説明して下さいます。公園内を徘徊すると本当に低湿地であることが理解出来、蓮池に咲き誇る宗治蓮が当時を偲ばせます。この戦の対峙中に本能寺の変が起き、中国大返しをされた秀吉公は一躍天下人の階段を駆け上がられ、主君を失い泣き崩れる秀吉公に"御武運が開けましたな"と呟かれた黒
現在は公園となっていて廃城となった備中高松城の遺構はない。付近に胴塚や首塚がある。公園内には宗治蓮はあるが、これも当時から残っているものではなく戦後整備復元されたものでちょっときれいすぎるかな。