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日本の開国の当時、日米修好通商条約を結びに日本にきた「ハリス」に仕えた女性。彼女は、本意ではなく国からのお願いでハリスに使えることになったものの、その後は「ラシャメン」として同じ日本人から差別を受けていた哀しき人生を送りました。
お墓の方は、なぜかお金を取られるので、お吉さんをお参りするときは、ここへ来ます。川沿いにお堂があり、小さな池には鯉のいる、静寂な場所。朝夕は、地元の人の散歩コースになっているようです。
車を止める場所がなく、路肩に寄せるしかないのですが、お吉が実際に亡くなった場所だと思うと、胸に迫ってくるものがありました。小さな祠と、河川敷の綺麗な休憩できる公園がありました。
江戸時代末期、舟大工の鶴松という恋人がありながら、鶴松の出世と国の利益のためアメリカ総領事・タウンゼント・ハリスの下に17歳の若さで仕えた【お吉】ですが、時代の波に翻弄され、明治24年3月27日の豪雨の夜、稲生沢川に身を投げ51歳の生涯を遂げました。
日米修好通商条約締結の為、玉泉寺に滞在していたアメリカ総領事タウンゼント・ハリスの元へ看護人として3日間通っただけなのに人々の蔑みと嘲笑の的となってしまったお吉さん。
お吉が淵の傍にはお吉地蔵があります。 日本の教育者・思想家であった新渡戸稲造は、唐人お吉の大の同情者の 一人であり、このお地蔵様は、新渡戸稲造の篤志によって 昭和8年8月に建立されたものだそうです。