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東名高速が近くを走っているがとても静かで落ち着きます。が間違っても夜遅くは来ない様に。腕っぷしに自信がありオカルトはただの暇つぶし位の人ではないと不味いかもしれません。でも深夜の台湾亭が一番神秘的なんだよなあ
太平洋戦争で台湾の優秀な少年達がこの付近(座間市)の軍需工場で航空機の勉強を兼ねて大勢働き、空襲や病気などで何人かの犠牲者もいたようです。優しくしてくれた地元農家のおばさん達への思い出と日台友好親善に、本国(台湾)に帰還した方々が寄付を募り建てられました。これからも台湾との友好が更に進展されますよう願います。
太平洋戦争当時、徴用されて軍需工場で航空機「雷電」を作っていた青少年のための御霊屋です。中国風の深紅の建物が印象的で、今でも近くの厚着基地から飛び立つ飛行機の轟音がはっきり響いています。
台湾亭自体とても見所がある場所なのですが、ここは厚木基地に着陸する自衛隊機を間近で観ることが出来る場所でもあります。日が落ちてからここへ来て、轟音と共に行き過ぎる鉄の巨体をただ眺めていると、不思議と心が落ち着きますよ。
泉の森からふれあいの森まで歩いていたら、色鮮やかな建物が建っていましたので立ち寄りました、建物は第二次世界大戦中、将来の航空技師を夢見て台湾少年工8,400名が高座海軍工廠で戦闘機「雷電」の製作に従事しました工廠は、現在の座間市栗原にあり、寄宿舎は大和市上草柳にあったようです、1993年6月9日台湾少年工の方々は第2の故郷と呼ぶ大和市を50年ぶりに訪れその時、台湾少年工の同窓組織である台湾高座会から日台の友好親善と世界平和を祈念し、大和市へ寄贈されたものらしく、ここの施設に関
引地川のほとりにひっそりと佇んでいる、台湾少年工の歴史、交流のしるしとなるモニュメントです。 ふれあいの森、泉の森散策路からは引地川を渡ったところになるので、気が付かずに通り過ぎてしまうかも知れません。