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佐々木禎子の美しいモニュメント、そして、広島への原爆投下の何千人もの子供たちの犠牲者全員、ガラスケースの折り鶴に囲まれています、像のあるこの公園で最も感動的なエリアです、そして子供たちによって提出されたすべての平和クレーン、記念碑の中を見ると、風鈴のような美しいブロンズクレーンが見えます、子供たちが作った紙の鶴を見るのは素敵です、時間をかけて記念碑を見て、その意味を考えてみてください、非常にシンプルなエリアですが、この物語の美しい表現です、公園全体が広い広場です、そして歩き回
佐々木禎子さんが、1945年被爆したものの、無傷だったと聞いたら、何で?と思いましたが、1955年、白血病で亡くなったと聞いた時はびっくりしました、原爆は、あと何年被爆者を苦しめるのだろうと思いました、悲しい気持ちにはなりますが、人生で一回は行った方がいいと思います。
原爆の子の像は、佐々木禎子さん(2歳で被爆、12歳で白血病を発病し亡くなりました)の同級生たちが、原爆で亡くなった多くの子どもたちの霊を慰め、世界平和を呼びかけ、全国3,100校余りの生徒とイギリスをはじめ世界9か国からの支援により、昭和33年(1958)5月5日に建てられました。三脚のドーム型の台座の頂上に金色の折鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち、左右に少年少女の像があります。碑文には「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」と書かれています。その後この話は世界に広がり、今も国内をはじめ世界各国から折り鶴が捧げられ、その数は年間約1千万羽にものぼります。像の設計は菊池一雄氏。