西郷隆盛が昏睡状態から覚めた時、共に入水した勤皇僧月照は、すでにこの世の人ではありませんでした。
月照は京都清水寺の僧で、開明藩主島津斉彬の意をうけた西郷とは特に親しい間柄だったのです。
1858年(安政5)井伊直弼の安政の大獄によって追われる身となった月照は、公家の近衛忠熙が西郷に依頼して、鹿児島に逃れました。
しかし斉彬の亡き後の藩庁は、月照を日向国に追及すると決め、絶望した西郷は月照と相抱いて冬の海に身を投じました。
月照へのすまなさと藩庁への怒りが海に身を投じるという道を選ばせたのです。
その数カ月前、急死した斉彬を追って死のうとした西郷を、戒め励まし志士として蘇生させたのが月照です。
藩庁は西郷が蘇生したにもかかわらず、その死を幕府に届け、菊池源吾と改名させ大島にかくまったのです。
一人生き残ったことを知った西郷は、自らを「土中の死骨」と呼び、生涯恥じたとしたということです。
二度までも命拾いした西郷は、その後、常に死と直面しながら信義を貫く生きざまを示しました。
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