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臼杵藩5万石稲葉氏の居城だが前身の丹生島(にゅうじま)城時代には豊薩合戦で大友宗麟がまさに最後の砦として南蛮砲「国崩」2門で頑強に抵抗、島津軍を退けた戦歴を誇る実戦的な城の面がある。レプリカだがこの国崩の南蛮砲が城内に展示されている。臼杵市街地でもある城の周囲は埋め立てられているため、海に囲まれた難攻不落の要塞という当時の側面はイメージしにくいが城内から湾内を一望できる。
初めて訪問しました。写真とかで有名な、古橋口は石垣の崩落の危険性があるとかで、通行出来ませんでした。でも、とても風情のあるところですね。こちら側から見ると、何ヵ所か穴があって、もしかして、二王子歴史の道で見た防空壕?と思ったのですが、分からないままです。
中心部に小山のようなものがあり、それが臼井城跡でなかなか堅固な城です。地元の方に教えてもらいましたが東側は、昭和前半まで海だったようです。今、市街地になっていますが、城の上から見ると平らなので埋め立たてた感じがします。
「臼杵城跡」を見てきた。臼杵城は平山城・海城で丹生島城や亀城とも呼ばれている。キリシタン大名の大友宗麟が1562年に築城。城には3重の天守と31基の櫓が上げられた。北、南、東を海に囲まれ、西は干潮時のみ陸地でつながり、周囲は海で高低差は20mで天然の要害は堅固な守りを誇っていた。