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この辺りは、僕が小学生だった頃、鯱の門から南側一帯に赤松小学校があって、まるで僕らの遊び場でした❗今の光景は、隔世の感が有り過ぎるけれど・・それでも色々思い出は湧いて来る訳で・・
第10代佐賀藩主に17歳で成られた鍋島 閑叟公の銅像は佐賀城鯱の門を潜る前に必ず目に入る大きな銅像です。脚元には直正公の功績の説明プレートが幾つかあります。
幕末といわれる時期の佐賀藩は、西洋の科学技術をいち早く取り入れ、日本で初めて鉄製大砲や実用蒸気船を製造するなど、全国から注目される存在であった。第10代佐賀藩主・鍋島直正(なべしま なおまさ)公は、今も歴史に名前を残す偉人の一人で、「佐賀の七賢人(しちけんじん)」の一人としても知られている。以前に建てられたのは大正2年(1913年)で、生誕100年を記念して、今の徴古館北東の位置に、大隈重信公たちが中心となって建てられた。大隈重信を建設委員長とし、佐賀常務委員には地元の政治家