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第二次世界大戦末期に、主に児童の手によって彫られた防空壕です。中は結構な広さで、便所に炊事場、教室に教壇まで備えられています。重要書類の保管庫に御真影棚まであります。単なる避難場所でなく校舎が焼け落ちた場合の代替教室と想定されていたようです。そういう状況で御真影なんざどうでもええやろと思うのは、戦後世代だからなんでしょうね。ただ、涼しくはあっても結構じめじめしているので、安置してしばらくするとカビの生えた御真影になったと思います。
ボランティアガイドの方に説明してもらうことを強くお勧めします。なんとなく入るとちょっとした洞窟程度にしか思えないかもしれませんが、説明を聞くことで、防空壕内部の空間の用途、壁の磨き方の違い、当初の用途と実際の用途の違い、防空壕内部の機能など様々な理解を得られます。見学した際は子ども連れのグループもいましたが真面目に話を聞いており、子どもから大人まで「学ぶ」ことのできる施設になっています。すぐ近くのハウステンボスが元々どのような施設だったかも聞けます。
#佐世保鎮守府 #日本遺産 巡り、今日は無窮洞に来ました。敗色が濃くなり、米軍の空襲が頻発していたので、旧宮村国民学校校長の発案で、同校の生徒らが手掘りした防空壕です。
coronaのため見学者は私たち夫婦と佐世保市の方のみ3名、係の説明を受けてからの見学!洞窟の規模の広さや内部の区画その規模、小中学生が年数を掛けて蚤やつるはしで掘ったことに驚きを隠せませんでした。戦争がそう言った事を当たり前にした事に、腹立たしさを感じました。一見の価値有り‼️coronaの終息後に脚を運んでください‼️
苛烈を極めた太平洋戦争の軍事拠点のあるエリアとして、有無を言わさず戦火に巻き込まれた長崎県を観光される際には、必ず戦争遺産や産業遺産をルートに織り込んで頂きたいのですが、こちらは戦争遺産でかつ、民間(殆ど子どもたち!)の力で作り上げた、手掘りの大型防空壕です。アクセスはクルマ必須ですが、子供の頃に洞窟で遊ばれた妙齢のおじさまがご説明してくださるので、とても良くわかります。
戦時中に小学生と中学生で洞窟を掘り学校として使っていたとの事。終戦末期は日本軍が使用してたらしいです。ちゃんと教壇もあり、炊事場にトイレ、物置など。戦時中は真っ暗な中で過ごしていたのかな。とか色々と考えました。全く戦争を知らない世代に生まれたので、映像や資料でしか垣間見る事が無いので、当時の人達の生活などに触れる事が出来る貴重な場所です。
日本の戦争の過酷さと、当時の教育に対する熱のある姿勢が感じ取れます。夏でも中は涼しく、換気扇代わりに出入口に農具のトウミ(穀物と皮を分ける農具)が使われていたりで、感銘を受けました。子供を連れてまた行きたいと思っています。