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県外ではあまり知られていない宮崎兄弟一家。孫文との交遊、白蓮の人となり、農地解放、自由民権運動との関わりなど、一家を取り巻く環境の変化。真っ直ぐに生きることの難しさ、無情、悲哀、運命。
辛亥革命により、清朝を打倒し中華民国を建国した、”革命家”孫文(中山)と親交を結び支援した宮崎滔天と、彼の三人の兄弟の業績を記念して、荒尾市が生家を買い取って展示施設としたものです。
宮崎家の人々の「熱」を感じる展示内容です。ただ、現代の言葉による解説が不足していて、何故宮崎滔天が孫文にそこまで価値のある存在だったのかはわかりませんでした。30分のビデオを見ればよかったかもしれません。たっぷり時間をとって再訪します。来館者は私たちだけ、もともと人の少ない文化施設まで訪問を控えなくても、良いのではなかと思います。
ここは、宮崎寅蔵(滔天).、民蔵、彌蔵、八郎の四兄弟が育って、活躍した場所です。滔天は、大江義塾から早稲田さらに長崎カブリ校と遍歴し、彌蔵の説く革命的アジア主義に共感し、上海に渡ります。その後理想を同じくする孫文に出合い、宮崎家に招きます。その後の孫文の辛亥革命に大きな影響を与えます。宮崎家当主の民蔵は、農村の貧しさを見て土地制度に疑問を持ち、土地復権を生涯の使命としました。彌蔵は、中国を本拠地とした革命を起こし理想郷を創るべく、中国人になり活動しますが、29歳でなくなります