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博多のメインストリート大博通りの呉服町辺り、奥の堂バス停からビルの間を抜け、一本裏に入ったところに長い築地塀が続く界隈がある。この周辺は、中世博多(鎌倉時代頃)の街並みがあったところだという。その中心が、この聖福寺である。寺の掲示板によれば、この寺の伽藍配置が、町割りの中心線になったとの事。現在でも、寺域は広大だが、往時はこの4倍程度あったらしい。しかし、戦国時代、島津の侵攻やその後の豊臣秀吉の九州征服等の戦乱の後、所謂、太閤町割りの際、現在の広さに縮小された。さらに、時代は
臨済宗の開祖、栄西禅師が南宋より1191年帰国後、源頼朝より八町四方をこの地に賜り百堂跡に日本で初めて創建した禅寺です。境内は国の重要な史跡に指定されていて歴史的に価値のあるお寺になっています。栄西禅師が南宋から帰国する時に持ち帰った茶の苗木が日本茶のルーツになっており、脊振山の南斜面の霊仙寺石上坊に植えたのが茶の始まりとなっています。またそちらの苗木を聖福寺の境内に移し替えてます。秋の紅葉時期に訪れると素晴らしい境内が観れると思います。