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古市古墳群に属する前方後円墳で呼び名は市野山古墳や允恭天皇陵などがあります。宮内庁に管理されているので古墳内への立入はできません。この古墳には濠が存在しますが、濠には水が無い箇所もありました。古墳は樹木が生い茂っていて長い歴史を感じることができます。
第19代天皇允恭天皇の陵墓中国の歴史書『宋書』・『梁書』に記される倭の五王中の倭王済に比定されている。仁徳天皇の第四皇子。母は葛城襲津彦の女・磐之媛命(いわのひめのみこと)履中天皇、反正天皇の同母弟である。先代の反正天皇が皇太子を定めずして崩御したため、尊は病気を理由に再三辞退して空位が続いたが、皇后となる忍坂大中姫の強い要請を受け即位。記紀には皇后の妹・衣通郎姫を寵愛しすぎて皇后の不興を買う逸話が残っている。どうも絶世の美女であったらしい。
おっきい。古市古墳群の北端、5世紀後半に築造されたと思われる前方後円墳。濠はありますが、水が溜まっているわけではないです。拝礼所は、前方部中央にありますが、入り口は旧170号前方部東角です。案内板は、大和高田線側、後円部の濠の外、中央点にあります。