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用事で京成大津の駅に降り、地図を確認していたら、おりょうさんの事が目に止まりました。ここに坂本龍馬の妻の龍子の墓があるとのことで訪ねました。背面を緑豊かな山々を配したのどかなお寺さんです。龍馬の死後、再婚し横須賀に住んでいたとのこと、海の見えるこの地が好きだったんでしょうか。
京急大津駅徒歩圏内。坂本龍馬公正室、お龍どののお墓がございます。毎年秋にはお龍さまを偲び"おりょうさんまつり"がおこなわれています。御朱印は本堂横のご住職さま宅で頂けます。
このお寺は、最寄りの駅は京急大津(京急本線)で駅からは徒歩5分のところにあります。浄土宗の仏教寺院であり山号は宮谷山で、正式名称は宮谷山至心院信楽寺。三浦地蔵尊第27番札所であリます。宮谷山至心院信楽寺。三浦地蔵尊第27番札所である。幕末の志士坂本龍馬の妻、楢崎龍(おりょう)の墓がある事が有名です。明治7年から神奈川宿の料亭・田中家で仲居として働き、明治8年には西村松兵衛と再婚し、西村ツルとなり、横須賀で暮らしました。人生の後半生33年間を横須賀で過ごしたおりょうの墓は、後の
しんぎょうじとは読めないですよね。お龍さんも龍馬ファン以外はおりゅうと読んでしまいますよね。お龍は市内の今の米ヶ浜で亡くなったのですが、いろいろないきさつがあってこちらのお寺に葬られたそうです。墓石は横須賀海軍ドックの建設に使われている石だそうです。なので、普通より巨大なわけです。昔は山門の手前にお墓があったと記憶しているのですが、今は境内奥でひときわ目立っています。いつ頃改葬されたのでしょうか。昔からマニアには知られているお寺でしたが、あの「龍馬伝」で一気に有名になりました
墓所の投稿でも書きましたが、幕末の志士、坂本龍馬の妻、お龍の墓所があるお寺です。お龍さんには、竜馬との出会い、寺田屋での活躍、日本初といわれる新婚旅行など面白く楽しいエピソードがありますが、竜馬の死により暗転します。流浪困窮し横須賀の地にて再婚しますが、貧困は変わらず、酒によっては竜馬の妻だと絡んでいたとも。竜馬の死、前後とも波乱万丈な女性でしたが、竜馬という男がいなければ彼女を幸せにできなかったのでしょう。土佐藩士・佐々木高行は、お龍のことを「有名なる美人なれども、賢婦人な
坂本龍馬の妻、お龍の墓所。ただし、ここに葬られたのは、横須賀の行商人西村松兵衛の妻ツルとして。松兵衛さんは、自分の女房の墓なのに、「阪本龍馬之妻龍子の墓」と刻んでやった。