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大日本帝国憲法の起草場所を求めて訪れました。もともとの場所からは移転されているのが残念でした。工場の裏手で、分かりにくい場所にありますが、伊藤博文や井上毅が、将来の日本について検討した場所として、感慨深くなりました。当時の議論の様子はどのようだったのでしょうか。
伊藤浩文の別荘地((当時は海に浮かぶ小島であった。)ここで明治憲法が起草されたが、碑文の建っている場所は、その後の開発で本来の場所とは異なるらしい。
1889年2月 11日に公布された憲法で,略して「帝国憲法」,あるいは「明治憲法」といわれる。現在の日本国憲法施行までの最高法規であり,有効時に改正されたことがない。ドイツ・プロシアの立憲君主制を範としたもので,その制定は 81年の政変に際して決定された。 88年伊藤博文,井上毅,金子堅太郎,伊東巳代治によって最終草案が完成,枢密院の議を経て翌 89年,欽定憲法として発布,90年 11月 29日に施行された。内容は,7章
作られた大正15年当時は「夏島憲法起草遺跡記念碑」だった記念碑。明治憲法を起草した4人の内の2人、伊東巳代治と金子堅太郎は存命で元気だったので、伊東巳代治が碑文を書いています。当時は式典が行われたりしたんだろうなぁと、この地に立って感慨深い思いになりました。追浜駅からは遠かったですが。