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曽於市の生涯学習の1つ、そお歴史探訪で訪れました。曽於市に残る太平洋戦争関連史跡です。鹿児島には知覧や鹿屋の飛行場が知られていますが、ここにも かつて岩川飛行場の発着所がありました。昭和19年に造られ、昭和20年5月から美濃部正少佐率いる芙蓉部隊(夜間銃爆撃の部隊)により使用され始め、沖縄方面に出撃しました。岩川飛行場は、基地であることを悟られないため、昼間は滑走路に刈草を敷いたり、牛を放牧したり、移動式家屋や樹木を立てたので終戦まで米軍に発見されることは無かったと言います。美濃部指揮官は、部下の命を大事にし、特効に対して異議を唱え、もっとも合理的な戦法として夜間爆撃を強く主張し、これが上司より認められた人物として知られている。