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江戸時代の武家屋敷は個人所有ではなく、藩主からの支給でした。今で言えば、公務員官舎みたいなものです。だから、大事に使う必要がありました。この屋敷の主の山本家は元は勇猛果敢で知られる三河武士で、主君松平家に従い、島原へ引越してきました。山本家の禄高は17石2人扶持だったそうですが、1石とは当時の成人男性が1年で食す米(1000合、150Kg)で、120,000〜150,000円くらいですから、17石は今で言えば年収200〜250万円くらいでしょうか。2人扶持だと、藩から米10俵が下級武士への手当として支給されます。これに役職手当が付いたとしても生活は楽ではなかったと思います。しかし、藩主から支給された屋敷は中庭もあり、なかなかりっぱなものです。