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映画に携わる者は、決して外す事が赦されないのが、ここ二条城撮影所跡と、マキノ省三さんとその息子、マキノ雅博&光雄の兄弟です。「マキノの名跡を知らずして、日本映画を語るべからず!」とは、今は亡きマキノ雅彦(津川雅彦)さんの言葉ですが、その津川さんを出番待ちから呼ぶ際に「マキノさぁ~ん❗」と呼んでたのもあって、津川/マキノ雅彦さんには太秦の映画屋の黎明期の話を熱く語って頂いたり、マキノ雅博監督に会わせて頂いたり、太秦の映画屋のよもやま話を聴かせて頂きましたね✨
二条城西南櫓の下300坪の土地に,明治43(1910)年横田永之助(1872~1943)の横田商会により京都初の撮影所が開設された。この地で日本映画の父と言われる牧野省三(1878~1929)が尾上松之助(1876~1926)とコンビを組み,最初の作品「忠臣蔵」を撮影した。法華堂撮影所(上京区御前通一条下る)ができるまで2年間使われた。この石標は二条城撮影所の跡を示すものである。
JR二条条駅から徒歩5分ほど。二条城の西南櫓のそば、中京中学校の校庭に沿った敷地外にあります。元京都市長、桝本頼兼の筆で「二条城撮影所跡」と題字が書かれています。