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鎌倉幕府を倒すべく、承久の乱をおこしたが敗れてしまい、隠岐へ流罪となり京都へ戻る事も許されぬまま隠岐にて崩御なされました。この地で火葬され、後に京都の大原御陵に改葬されました。現在は、後鳥羽天皇火葬塚として宮内庁が管理しています。勿論、立ち入り禁止ですけど、横にある土手上から内部の様子が窺えます。フェリー発着場の菱浦港からは、徒歩で30~40分程。町営バスも出ているようです。隠岐神社に隣接してますので隠岐神社を目標にすれば分かりやすいと思います。
800年以上経た今でも「ごとばんさん」と海士町の人々に呼ばれ、畏敬の念を持って今でも守られ続けられているそうです。流罪の地・隠岐で詠んだとされる688首の中から選ばれた不朽の名作とされる「後鳥羽院遠島百首」を「遠島百首かるた」にして復活させて、町おこしに活用しています。百首は「春 二十首、夏 十五首、秋 二十首、冬 十五首、雑 三十首」からなり、後鳥羽院のお人柄を如実に表している「我こそは新島守よおきの海の