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延喜式内の名神大社です。他の神社に行く100倍のご利益がありますが、まったく商売ケがありません。壊れた社務所の屋根を見ると悲しくなります。宣伝はしなくていいけれど、アクセスだけは確保してあげてほしい。国の宝ですから。
相撲神社を少し山のほうに5分ほど歩いていくと穴師坐兵主神社につきます。相撲神社のところに穴師神社という鳥居が駐車場横にあったのはそのためですね。
〔ホツマツタヘ〕―秘められた日本古代史( 松本善之助著、毎日新聞社 )を読んで一度来てみたいと思ってました。古代、猿田彦(役職はオオモノヌシ、椿大神社に祀られている)の子孫であるオオタタネコ(役職はオオモノヌシ)が祀られています。「穴師」は「他無し」で他に無く秀でて「坐」おられると云う意味で、「兵主」は「つわものぬし」と読みます。纏向遺跡が近いのですね。また来たいです。
まさに穴場のパワースポットといった感じ。紅葉が素晴らしかったです。歴史の重みも感じました。ただ途中の案内看板もほとんどなく辿り着くのに苦労しました。このまま寂れるのは勿体ないので色々試してみて欲しいです。
古い謂れのある神社で、延喜式名神大社ということですが、交通が不便で訪れる人は少ないと思います。山辺の道ハイキングの際におまいりするのがいいかとお思います。なお付近にトイレはありませんのでご注意ください。(山の下の方約500mに公衆トイレあり)
平安時代に編さんされた神名帳「延喜式」に掲載されている神社、いわゆる式内社(名神大社)です。創建年は不明ですが、第十一代 垂仁天皇の時代とも言われているそうです。
県立図書情報館 千田稔館長によれば本来の祭神は、新羅王の子アメノヒボコとしている。半島に移りまた日本に戻ってきた神とも言われており、大神神社に祀られている大物主に劣らぬ偉大な神で、建国の一翼を担ったであろう。末裔には神功皇后が登場する。巻向山の中腹に静かに鎮座し、大和の国を見守っている。社域は大きくはないが氏子からの尊崇が感じられ、威厳も感じる。
細い道の奥まったところにひっそりと佇む神社です。少し寂れていますが本殿・拝殿は立派な建物です。もっと賑わっても良さげに思いますが檜原神社などに比べると知名度が・・・。とても親切な神主さん宅でご朱印を頂きました。
桜井市穴師の奥に鎮座する古社で、元は穴師坐兵主神社(名神大社)、巻向坐若御魂神社(式内大社)、穴師大兵主神社(式内小社)の三社が応仁の乱の頃、焼失したため、穴師大兵主神社の旧社地に合祀され、鎮座している旧県社。創建ははっきりしないが、桜井市の市史によれば、崇神天皇のころまで遡るという。