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十二相神社には杉の巨木が整然とそびえている。この杉は樹齢が5百年から千年、平安時代からの杉、光秀の幼少期にはもう巨木の杉も、これには感動しました。
滋賀県多賀町佐目に明智光秀が住んでいたという資料があります。淡海温故録に記載されてます。光秀のお父さんは、岐阜県の土岐氏につかえていましたが、意見があわず破門され多賀町に隠れ住んだといわれてます。十二相神社⛩があり、鳥居を入った直ぐに、明智光秀の子孫の見津氏の家にがあります。最初は、光秀のみつをもらいみつしでありましたが、破門のこともあり、けんつと名乗りました。見津さんの家からさらに奥にはいると、道の左右に空き地があります。ここが明智光秀の家があった場所といわれてます。前は畑
長らく隠されてきた事を、ドラマをきっかけに、謀反人という側面だけでなく描かれるだろうと期待して、後世の為に詳らかにしようと活動しております。まさか!?の場所ですので、後世の発見に期待しています。