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ここ大柳館址は、千葉常胤の孫である上総常秀が築城して居住し、その子である秀胤の2代30年間、上総一円を支配しました。宝治元(1247)年6月5日、三浦泰村が反乱(宝治合戦)を起こすと、秀胤は泰村に組し大柳館に籠りました。一方、北条氏は、千葉氏一族の大須賀胤信(千葉常胤の四男)らにこの大柳館を攻めさせた結果、秀胤らは城を守り切れず自ら火を放ち、同年6月7日に弟である時常と共に一族郎党163名が自害しました。三之宮神社の鳥居向かい側が大柳館址の入口になっていますが、荒れ放題です。簡単に見学しただけですが、土塁や虎口らしきものは確認できましたが、これらは恐らく古墳であり、城郭遺構ではないと思われます。三之宮神社境内(荒れ放題)に駐車可能ですが、車高の低いクルマは要注意です。
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