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天台座主の住まい。滋賀御殿とも。奥に根本中堂を模したお堂があります。何らかの理由で根本中堂に行けなかった時に代わりにそこで法要をしたとか。内部は撮影禁止。
「気は長く、勤めは堅く、色うすく、食細くして、心広かれ」という慈眼大師天海の言葉が境内に書いてありました。万人に通じる素晴らしい言葉だと感心しました。徳川家康、秀忠、家光の三代に仕え、黒衣の宰相と呼ばれた天海に対しては勝手にダーティーなイメージを持ってしまっていましたが、徳川幕府というのは総じて清廉かつ有能な人材登用を行っていたに違いないと最近は思うようになってきました。
小堀遠州の作庭が素晴らしい。天台座主の御座もまるで帝の御座で感慨深い。日本の有名な城の石垣の殆どを積んだ、日本一の石工集団である穴太(あのう)衆が積み上げた石垣にため息が出る。
江戸時代の元和元年(1615)、天海大僧正が後陽成上皇より京都法勝寺の建物を譲り受け、この地に移築したのが始まり。以後、歴代の天台座主(比叡山延暦寺の住職)の住まいとして存続してきたが、明治11年(1879)、火事で全焼してしまった。
元和元年 天海大僧正が移築·再建し、境域は約1万坪の敷地があり、勅使門、内仏殿、宸殿、二階書院、庫裡、台所、運用門と立派な庭園から成っており、地元では滋賀院御殿と読んでるそうです。狩野派の襖絵、渡辺了慶作の障壁画など見所満載でした。江戸末期までは天台座主と為った法親王の代々の御座所であった門跡です。