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この地に峰山城跡なる碑が存在することをネットで知った。現地に訪れてはみたが、初めての訪問では場所が特定できなかった。あとで地図を調べて分かったことだが、今は畑になっていて奥まったところに石碑が存在していたため見落としていた。徳川時代になってから、藩主は京極氏に代わり、初代高通(たかみち)は、元和10年(1624)、お国入りをして、城下町をつくり、峯山町と改称した。このころになると、城砦の必要が無くなったので、山城を廃して藩主の居館(御陣屋)・御蔵・表門・侍屋敷・御粗長屋等を造った。その陣屋跡を峰山城と呼んだそうだ。
峰山城跡」があったなんて・・・全く知りませんでした。今は畑になっているようですが、どんな形の城でも人が住み今も昔も人々達の生活がこの土地にはあったことの証明になりますね。