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現在は団地になっています。明治維新後は陸軍の土木建築を担う工兵部隊が駐屯していました。その中で第十六工兵はフィリピンのレイテ島で玉砕しています。写真は彼等がいたことを証明する石碑です。
伏見奉行所の跡地、数少ない幕末の動乱を感じる事の出来る場所だと思います、近くを散策すると石垣を見る事ができ奉行所の敷地が広大だった事がわかる、また薩摩藩が陣を構えた御香宮が意外と近いと解る
京都市営桃陵団地横に石碑のみが残る。坂本龍馬を襲撃した伏見奉行所。伏見は江戸幕府の直轄領で、伏見奉行は幕府が各地に置いた遠国奉行のひとつである。
塀と石碑しかないので当時の伏見奉行所の規模など想像すらできません。ただ、幕末の動乱に際し幕府側にとっては重要な機関がここにあったのだなあ、と歴史好きな人は感慨に浸って下さい。まあ、別にそれでどうってこともないですが。