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玉村町は利根川と烏川の合流する肥沃な土地が広がり、古代から多くの人々が暮らす、歴史のある町だった事が解ります。古墳も200基もあり、豪族が住んでいた土地だと分かります。江戸時代は日光例幣使街道の宿場町として栄えた玉村町の歴史が良く解りました。玉村町が高崎市や藤岡市などに属さず、独自のプライドを持ち続ける意味を感じました。
無料の資料館。施設の中の2Fにある。規模は小さいが中身は濃い。なぜ群馬に古墳が多いのか、埴輪が数多く出土するのか、の謎が解けたような気がする。要は、古代の遺物が、浅間山の火山灰、利根川の氾濫で堆積物の下に埋もれ、人々の目に触れることなく、邪魔もの扱いや子供達の遊び道具にならずに近年発掘・発見されたようだ。う~ん、群馬、侮ることができない。