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江戸期の備蓄用穀物の貯蔵庫「郷倉」(ごうぐら)。浅間山の天明大噴火の後に発生した「天明の大飢饉」。この時の教訓から、幕府老中であった松平定信(寛政の改革を行なった人物)が、寛政元年(1789)に触書を幕府直轄領に発し、各村で郷倉の設置と穀物の備蓄が行われたそうです。
「ごうくら」とよみます。江戸時代に村に設置された公共の貯穀倉庫。本来は年貢米の一時的保管倉庫であったが,中期以降は,飢饉にそなえる備荒貯穀用として利用された。のちには貸し出しも行われた。郷倉の建物は村有,官有などがあって一定しないが,敷地は免税地で,普通村役人が管理したそうです
郷倉とは、江戸時代に、村々が納める年貢米を一時保管しておく地方倉庫で、御蔵(みくら)とも呼ばれます。建設年代は不明ですが、天明年間(1782~88)以降、うち続く飢饉や洪水等の災害に対処する備蓄のために建てられたものです。