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善性房は、後鳥羽院の第三王子但馬の宮正懐親王で、順徳院の弟にあたる人といわれ、出家して比叡山にのぼり、名を周観と改めた。公家の出で、仏門に入ったことなどは、親驚聖人とよく似ている。 仏教を学んだ周観(正懐親王)は、優秀な成績で将来を嘱望されたが、山上の名利の争いを嫌い、建保6年(1218)20歳の時に山を降り諸国行脚を決意した。そして、下総に入り国守豊田四郎治親のもとに留まることになる。ちょうどその頃、親鸞聖人が流罪赦免により、越後から関東に入国したことを聞き、小島(下妻市小島)の地に聖人を迎え、その教化を受け弟子となった。その後、親鸞聖人が稲田の地に庵を結んだ析、他力本願の真髄を学び善性房と法名を授けられた。