全国17万以上の観光・観光地クチコミ検索サイト
徳川の関東移封に伴なって木曽から阿知戸一万石に移封された木曽義昌公は、文禄4年(1595年)に56歳で薨じ、遺言によって周辺に浅く広がる椿の海へ水葬されたが、 70余年後に干拓されて美田となり、水葬の地に墓塔が建てられ、長く田んぼの中にぽつんとあったが昭和52年に史跡公園として整備された。ちなみに駐車場はガタガタで停め難く、 国道からの入り口が分かり難いのが難。
のどかな水田地帯にポツンと緑の杜があり、そこが木曽義昌公史跡公園です。水葬された場所とも言われていますが、かつてここが「椿の海」と呼ばれた海だか湖だったという事に驚かされます。
国道126号線のすぐ脇にあります。入口のアーケードがなければ義昌公の史跡と気がつきません。ちょっと英国庭園風の趣がありました。公園内に入ると季節の花々が綺麗に咲いていて手入れが行き届いた感じです。駐車場はありませんが私の車のようにコンパクトであれば1台は止められます。国道に近いのでどこかの店に立ち寄ったついでにここを訪れるのもありだと思います。さて武田氏滅亡の引き金を引いた木曽義昌公ですが戦国時代の終盤には信州からこの地に転封を余儀なくされたようです。鳥がさえずる信州木曽の山奥から潮騒の聞こえるこの地にやって来た時の心境はいかばかりかと思います。