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建物は無い。礎石のみ。「廃」寺跡なのだからそれも止む無し。そこまで踏まえれば、きれいに整備された史跡公園。多賀城もそうだが、想像力が要るところ。
詳しい縁起は明らかではないが、多賀城の南西1㎞の高台にある多賀城と同時期に創建されたと推測される寺院跡。中門・塔・金堂・講堂の跡が残り、その礎石からかなり整備された寺院であったと推測される。駅を起点にすると多賀城とは反対側にはなるが、時間があれば立ち寄りたい場所である。
多賀城跡と併せて特別史跡に指定された付属寺院跡。三重塔と金堂が向かい合うように東西に配置され、北側に講堂があったと推定されており、この伽藍配置は福岡県太宰府の観世音寺と似ているということです。
2021年8月24日に見学しました。神亀元年724年に大野東人が、陸奥国の国府として多賀城を創建したとされています。多賀城と時期を同じくして、この寺院も完成したと思われます。陸前山王駅近くの山王遺跡から「観音寺」と書かれた土器が発見されました。そのことから、多賀城廃寺の寺名は、観音寺だったのではないかと考えられています。寺院の伽藍配置は、太宰府の観世音寺と瓜二つです。