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額田城は鎌倉時代に佐竹義直が築き額田氏を称したことを起源とします。室町時代に佐竹氏の内紛に端を発した山入の乱で額田氏は滅び佐竹義人は重臣の小野崎氏を額田城主としました。小野崎氏は独立的な動きを見せたため戦国時代末期になると佐竹氏と対立し、小野崎照通は伊達政宗と結んで佐竹義宣に対抗しましたが政宗の援軍を得られぬまま額田城を攻め落とされた。額田城はそのまま廃城となったとされています。
額田城は約340年間額田地区を中心として久慈川を以南、および久慈川を挟んで君臨した。170年を佐竹分家として、後半170年を佐竹家臣として従ったのであるが独立性の強い巨大な勢力を維持してきたのである。その大半が宗家との対立であった。佐竹氏時代は分家の統括的位置にあったし。小野崎氏時代は江戸氏とともに佐竹氏、石神氏とあたり、最終的に伊達氏との結びつきが強まったりしてまさしく戦国時代をいきぬいてきたのである。最初の城主は佐竹義直。佐竹5代義重の第2子で幼名を伊豆王丸、字名は弥次郎
阿弥陀寺の東面には広い空堀が南北にあり、一条の土塁を挟んで主郭西面の空堀があります。 遊歩道が整備されて、土塁の南端まで行くことが出来ます。 主郭は四周を空堀で囲んでおり、前回は全く入る手段がなかったが、今回は整備が行き届いて遊歩道も巡らせ歩き易く見易くなっています。 空堀も大きな木が無くなり見通しが良くなって気持ちが良い空間です。 唯、空堀の底は遊歩道の敷かれている所以外は水たまりが多いので歩くのは気を付けて下さい。 整備された城址の見本の様な遺構で、遺構を出来るだけ壊さず、見て歩く楽しみのある公園となっています。 唯、空堀の中には藪の所も多く、全体を整備するには広すぎるのかな。 駐車場から主郭まで12分。 (2014年登城)