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阿武隈川に突き出たがけの岩肌に彫刻された磨崖仏は、岩地蔵とも呼ばれ親しまれています。この場所は、昔の要路であった東街道の渡し場「稲葉(いなば)の渡し」で、左甚五郎が船を待つ間に彫り上げたという伝説が残されています。
古墳時代末期に築造された横穴墓群の中に石仏を刻んだものと考えられています。鎌倉時代から室町時代の初めにかけてのもので、4体の地蔵尊と、3枚の板碑が刻まれています。田沢磨崖仏の刻まれたこの地は古来「稲葉の渡し」と言われた場所で、阿武隈川を渡る重要な地点だったのだそうです。その渡しの安全を願うことに磨崖仏は深く関わりがあるものと考えられています。
路肩駐車し生い茂った雑草をかき分け階段を降りて行くと阿武隈川に突き出たがけの岩肌に彫刻された磨崖仏を発見する。7〜8m先の土手を降りると全体像が雑草に隠れながら見えます。