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鏡忍寺は、日蓮大聖人の弟子の鏡忍坊の遺徳を偲び名付けられたお寺である。この場所は、かつて日蓮大聖人の10人の一行が、当時法華経の説法の拠点としていた花房の蓮華寺より天津にある工藤吉隆の居館に移動する途中、この一帯を支配していた東条景信の100人規模の軍勢に突然襲われた場所である。ここで大聖人は馬に乗った地頭の東条の刀で額に9センチ(3寸)程の傷と左腕を折られる大怪我を負わされ、弟子の鏡忍坊と大聖人の救援に駆けつけた工藤公が敵の手に落ち、斬死されたと言われる。当時この付近は松の
所構わず相手を選ばずに喧嘩を売り歩く日蓮聖人に、鎌倉幕府がブチ切れた結果が伊豆法難と龍ノ口法難で、念仏信者がブチ切れた結果が小松原法難と松葉ヶ谷法難です。これらをあわせて日蓮四大法難と呼ぶそうです。